「世界一きれいだった江戸の町」

先日、環境コンサルタントとして活躍している教え子のブログを読みました。日々の活動に加えて、油脂バイオマスやPCB廃棄物処理の情報などが紹介されていて、とても良い刺激をもらえました。 それというのも、3月のブログで「草主人従」について書いたものの、ここのところ講演会で環境問題について話す機会が少なくなっていたからです。そこで、これからは時々ブログで「江戸庶民の暮らしに学ぶエコ生活術」についてご紹介したいと思います。

江戸は環境循環型社会とかリサイクル社会だったとよくいわれます。それでは「世界一きれいな町だった」といわれる江戸は、どのような町だったのでしょうか。

江戸は将軍のお膝元でしたから、将軍直属のお屋敷や大名たちの藩邸が置かれ、多くの武士が住んでいました。それらの江戸で暮らす武士たちの生活が成り立つように、商人や職人たちが全国各地から江戸に集まりました。そして年々人口が増加し、享保6年(1721年)には百万都市になったといわれています。

一方、1821年のロンドンの人口は約87万人、パリは約55万人でしたから、江戸はパリやロンドンをしのぐ世界一の大都市でした。 17~18世紀のパリは、馬車がひっきりなしに通るので、道はデコボコである上に馬糞がたくさん落ちていました。また、通りを歩いていると2階3階の家の窓から突然ゴミが投げ捨てられることもあったそうです。 ちなみに、パリがまともな都市になったのは、1830年代に地下に下水道を掘り始めてからといわれています。

当時のパリやロンドンに比べると、江戸はとても清潔な町であったと思われます。     それは、江戸時代に地下の下水道はありませんでしたが、道路の脇の排水溝の水が最終的には神田川や隅田川に流れ込んでいましたし、当時の下水は家庭の排水ですからそんなにひどく汚染されたものではなかったからです。 また、糞尿の類は下水とは一切関係がなく、それはそれで別のルートで処理されていたからです。 さらに道路ですが、馬車が通るヨーロッパの町と違って、江戸の町の道路はそれほど広くありませんでしたし、舗装もされておらず、夏に照り返しがあっても打ち水をすれば結構涼しくなるという利点もありました。         また、ゴミを資源として回収する仕事があり、再生する職人がいて、それを使うことが当たり前でした。紙よりも貴重だった釘や鍋などの金属類は、小さい物でも回収され、鍛冶屋が溶かして新しい品物を作りました。 ですから、江戸は結構清潔で衛生的な町であり、世界一きれいだったといっても過言ではないようです。

現代も、読み終わった新聞紙や雑誌、プラスチック、缶、ビンなどは回収、再生していますが、江戸時代にすでにリサイクルの仕組みがあったなんてスゴイと思いませんか。

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