「寺子屋での学習」
先週、都内のシニア大楽で「江戸の寺子屋に学ぶ子育て・孫育て」というテーマで講演をしてきました。 今日はその中から「寺子屋での学習」についてお話ししたいと思います。
皆さんもご存知のように、江戸時代、武士の子どもたちは藩校で、そして庶民の子どもたちは寺子屋で学んでいました。 藩校では、君主への忠誠心を育むために朱子学を教えたのに対して、寺子屋の師匠の多くは知行合一を説いた陽明学を拠り所に子どもたちを指導していました。
ところで、皆さんは「寺子屋」と聞いてどんなことを思い浮かべますか?
「読み書きそろばん」を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。もちろん、寺子屋では「読み書きそろばん」が重要な学習であったことは確かです。
しかし、寺子屋の師匠たちが「読み書きそろばん」以前にもっと大事にしていたことがあります。それを表したのが次の言葉です。
『まず○○○。 ○○なき子どもは、○○○○を学ぶ資格なし』 ○○の中にはどんな言葉が入ると思いますか?
正解は、『まずしつけ。礼儀なき子どもは、読み書きを学ぶ資格なし』です。 つまり、あくまでも「しつけ」や「礼儀」を身につけた者だけが読み書きを学ぶ資格があると考えていたのです。 このように、寺子屋の師匠たちが寺子屋で学んでいた子どもたちに「しつけ」や「礼儀作法」、そして、「一人前」に育てることに厳しく目配りをしていたことを、私たちは知っておく必要があると思います。
日本の陽明学の祖である中江藤樹は、人づくりの要諦を『視聴言動思』の5つを毎日実践することだと伝えています。
『視聴言動思』(しちょうげんどうし)
(視)ただ見るのではなく、物事は心を込めて、意識的に視ること。
(聴)ただ聞くのではなく、一心に聴くこと。
(言)丁寧に、失礼のないようによく考えてものを言うこと。
(動)常に穏やかに、品よく振る舞うよう心がけること。
(思)一日の終わりに、その日の自分の行いに正すべきことはなかったか、深く振り返り、明日に備えよ。
この教えはどの寺子屋でも大切にしたそうです。 この『視聴言動思』は言うは易く、行うのはなかなか難しいことですが、幼いうちからこうした自覚をもって日々暮らせば、きっと素晴らしい人間になれると中江藤樹は言い切っています。
改めて、寺子屋の師匠たちがどのような心構えで子どもたちの指導に当たっていたのかが分かり、頭が下がります。