「「世辞が言えて一人前」
先日ある食事会でことわざや慣用句などの誤用や勘違いが話題になりました。その時「世辞が言えて一人前」も出たのですが、皆さんは「世辞」という言葉からどんなことを連想しますか?
今回は江戸の商人しぐさにも伝えられていた「世辞」についてご紹介いたします。
◆「世辞」という言葉から連想するのは、ゴマすり、へつらい、社交辞令など、耳触りのいい美辞麗句を並べ立てた世渡り上手のようで、あまりよくない印象をもつ人が多いのではないでしょうか。 特にわざとらしい褒め言葉で相手の気を惹こうとするのは滑稽に見えることもありますよね。
◆しかし、江戸の商人しぐさでいう「世辞」というのは、相手への心遣いを言葉にして伝えるということで、今の私たちの感覚とは少しちがっていたようです。
例えば、「こんにちは」や「こんばんは」の挨拶ですが、挨拶の語尾が「は」で終わるのは、「こんにちは」や「こんばんは」の後に一言、相手の様子を気遣ったり、天気の話をしたり、次の会話につながる言葉をつけ加えたりした名残なのです。 通りすがりに、ただ挨拶を交わしただけでは会話にはつながりません。挨拶の後に一言「寒くなりましたね」とか「その後いかがお過ごしでしたか」など何気ない言葉をつけ加えることで会話が始まります。 このようなきっかけづくりの言葉を「世辞」と言ったのです。 「お」がついて「お世辞」となると、心にもない話になってしまいますが、本来はそうではありませんでした。
◆江戸の商人しぐさにも伝えられていた「世辞」本来の意味は、相手への気遣いなのです。
例えば、風邪をひいている人に会った時、挨拶の後に「お身体の具合はいかがですか」と一言つけ加えたり、夕方仕事から帰ってきた人に「こんばんは」の後に「お疲れさまでした」と一言つけ加えることはよくありますよね。
これを江戸の商家では「九つ言葉」と言って、九つ(九歳)までに身につけさせたというのですから驚きです。「九歳までに世辞が言えて一人前」。江戸の町で暮らすには、どんな人にも思いやりの言葉をかけて心地よい会話のやりとりができるように育てたということです。
大人になっても挨拶ができない人が少なくない現在ですが、「世辞」は社会人の挨拶として、円滑なおつき合いには欠かせない当たり前の心遣いではないでしょうか。