「ねぎらいしぐさ」
先日、ある社会福祉センターに行く機会がありました。ちょうどランチタイムでしたので、その社会福祉センターの中にあるレストランで食事をしました。そこでは障害のある方たちが担当者のサポートを受けながら一生懸命に注文を聞いたり、運んだりしていました。
お昼時ということもあってテーブルは満席でした。私も食事をしながら、頑張って仕事をしている人たちの姿を眺めていました。 しかし、そのうち何となく違和感を感じている自分に気がつきました。 それは、食事を終えた人たちが帰るとき、お店の人たちの「ありがとうございました!」と言う声を聞きながら黙って出て行く人があまりにも多かったからです。「ごちそうさまでした」と言った人はほんの数人でした。 これは何もこの社会福祉センターに限りません。一般のレストランでも状況は同じです。
一時、「給食費を払っているのに、なぜごちそうさまと言わなければならないのか」と言った母親の言葉が話題になりましたが、同じように「お金を払っているのだから、ごちそうさまと言う必要はない」と考えている人が多いからなのでしょうか?
でも、それは間違っていると私は思います。命の源である食べ物(天地の惠)と多くの人々の働きに感謝する気持ちを表すのが「いただきます」や「ごちそうさまでした」ではないでしょうか。 特にレストランでは、働く人に対して「ごちそうさまでした」と言う言葉でちゃんと感謝の気持ちを伝えることができる人が増えるといいなと思った一場面でした。
そこで、今回は「ねぎらいしぐさ」について考えてみたいと思います。
【ねぎらいしぐさ】
◆外出先から戻れば、「ただいま」そして「お帰りなさい」という挨拶が交わされます。また、退社する時には「お先に失礼します」そして「お疲れさまでした」と挨拶が交わされます。 「お帰りなさい」とか「お疲れさま」と言われるだけで疲れが取れるような気がしますよね。
◆江戸時代には、夏の夕方になると、隣近所でいっせいに打ち水をしましたが、その時にお互いに一日の労をねぎらったそうです。
現在でも、別れ際や、仕事や会合が終わった時など、私たちは当たり前のように「ご苦労さま」とか「お疲れさま」と声をかけ合って労をねぎらっていると思いますが、皆さんの周りではいかがですか?ちょっとしたことでも、お互いに労をねぎらい合う雰囲気がありますか?
◆ところで、目上の人に「ご苦労さま」と声をかけるのは失礼にあたるとされていますが、それは、そもそも日本では目下が目上をねぎらうということがなかったことに関係しているようです。 それに対して、「お疲れさま」は明治に入ってから使われるようになった新しい言い方だそうです。 目下にしか使えない「ご苦労さま」よりも「お疲れさま」の方がよく使われるのは、立場や年齢を問わずどんな相手に対しても失礼のない言い方だからのようです。
◆また、「あの人を励ましたい」とか「日頃の感謝を伝えたい」という気持ちは、相手が目上であっても、あるいは友人や家族など身近な人であっても同じですよね。時と場合によって気持ちの大きさはさまざまでも、その気持ちを言葉に託し、目に見える行動にして伝えることこそ,商人しぐさの「ねぎらいしぐさ」なのです。
例えば、営業先から戻ってきた同僚に「お疲れさま」の一言をかけると同時に、さっとお茶を入れてあげる。 家族が帰宅したら、「今日どうだった?」と声をかけて、さりげなく愚痴を聞いてあげる・・・などなど。 たとえちょっとしたことだと思っても、躊躇しないで自分から「ねぎらいしぐさ」で相手に気持ちを伝えてあげてはいかがでしょうか。受け取る相手にとって、その「ねぎらい」の言葉としぐさは癒やしとなり、励ましとなるのではないでしょうか。