「江戸商人“べからず講”」③
前回は「江戸商人“べからず講”」の具体例として2つご紹介しましたが、ご感想はいかがでしたか? 私たちが普段何気なく言ったり行ったりしていることも、江戸商人の目を通すと教えられることが多いと思いました。 そこで、今回はあと2つ“べからず講”をご紹介したいと思います。
次の2つの“べからず講”の本質についてご一緒に考えてみてください。
【みだりに人を紹介すべからず】
◆皆さんは人を紹介したり紹介されたりすることはよくあると思います。最近は交流会での名刺交換やウェブ上でのツールを利用して、紹介そのものがかなり気軽なものになっているのではないでしょうか。
◆江戸の商人は人を紹介するとき、自分と同等か、それ以上の能力があると思う人物しか紹介しなかったそうです。 紹介は、その人の人脈や人徳、人間関係がそのままはっきりと表れます。また、信頼関係のもとに成り立つものなので、信頼できる人に信頼できる人を紹介するのが基本でした。ですから、人を紹介することで発生するトラブルを未然に防ぐことができました。
◆一方、人を紹介された場合、気をつけなければならないことがありました。 それは、紹介者を飛び越して相手と直接やり取りをしたり、お礼も報告もしないことです。これは「頭越しのしぐさ」といわれ、大変無礼なこととみなされました。 紹介された後の結果や経過をきちんと報告し、紹介を受けたことで一つのことが成就したときは必ず「おかげさまで」と挨拶するのが礼儀です。「紹介さえしてもらえばこっちのもの」とばかりに、最初の口利きだけしてもらうのは義理を欠いた行為であることは言うまでもありません。
信頼できる人にだけ信頼できる人を紹介するのが基本。 大切な人同士をつなぐには、その後、二人がどのように関わっていくのかまで見通してから、紹介するかどうか決める必要があるのではないでしょうか。
【人柄に惚れるべからず】
◆皆さんはこの「人柄に惚れるべからず」の本意をどのようにお考えですか?
人の気持ちに敏感で人とのつき合いを大切にする江戸の商人でしたが、商売に関してはシビアな面もありました。 「人柄よく見える者から悪い商品は買うべからず」「人柄に少々難あれど、商品が良い場合は採用すべし」・・・江戸の商家ではこう教えられていたそうです。 いくら優れた人格をもっていても、商売人としては目が利くとは限らない。反対に、一見自分とは波長が合わずつき合いづらい人のようでも、商売相手として必要ならうまくつき合うよう努力する。
◆よい人柄に惚れて商売をすることは、裏を返せば、悪い人柄の人が扱う商品は仕入れないということになります。 また、人柄のよさに惑わされて、商品そのものの品質や取引条件などに対する厳しい目を失うことになりかねません。 そこで、「人柄だけに惚れるな」と釘をさしたのです。
さらに言うと、「そんな狭い料簡では江戸の商人にはなれませんよ」ということで、清濁併せ呑むしぐさが必要とされていたのです。 人間の本質は善悪が絡み合っているもので、善だけという人も、悪だけという人もいるはずがありません。 人柄に惚れた人とだけ商売をするのは、江戸商人の資格がないとされたのです。
◆人柄に惚れることは人間として大事なことです。しかし、一流の商人を目指すなら、それだけではいけない。 つまり、「人柄に惚れるべからず」は、江戸商人のしたたかさと人間洞察力の深さ、鋭さを感じさせる警句といえるのではないでしょうか。
以上、江戸商人の“べからず講”の一端をご紹介しましたが、江戸講の「べからず」の意味は、「してはいけない」という現代の直接的な禁止ではなく、「そんなことをしては江戸商人としてはふさわしくない」とか「そんなことをしては江戸商人として誰からも相手にされなくなる」ということを気づかせ、判断させ、行動させるための戒めだったのです。