「日本語の危機!?」

先日、新聞のコラムで「日本語の危機」について書かれた記事を読みました。
近代以降、日本語が大きな危機に直面したのは二度。一度目は、明治の初め、初代文部大臣の森有礼が提唱した「日本語廃止論」。二度目は終戦直後、GHQが検討していた「日本語のローマ字化」。そして先日、政府から出された氏名のローマ字表記を現在一般的な「名・姓」から日本人らしく「姓・名」にするという政府方針が三度目の危機になるかも?という記事です。
そこで、今回は「日本語の危機!?」について考えてみたいと思います。

◆それにしても、欧米列強に追いつくには英語の国語化が必要と考え、「日本語を廃止しよう」と提唱したのは実に大胆な話です。 また、漢字を覚えるのは学生の負担になっているから日本語をローマ字表記にしようというのもずいぶん安易な考えですよね。 最初の二つに比べれば、三つ目の氏名のローマ字表記の政府方針は大した問題ではないように思えます。

◆しかし今回、私が氏名のローマ字表記以上に「日語語の危機!?」として取り上げたいのは「高校の現代国語でこれから、文学が選択科目になる」という記事です。  現代国語といえば小説や詩歌、評論だと思っていましたが、これからはそれらの文学が選択科目になるというのです。そして、文学に代わってメインになるのが実用文だというのです。 実用文の例として取り上げられているのが、行政のガイドラインや駐車場の契約書などで、素人目にも「これが国語か」と思うような内容だそうです。(学習指導要領) 確かに実用的な文章を読める力は必要だと思いますが、それが国語の教材として延々と続くというのはいかがなものでしょうか。
歌人で元国語教師の俵万智さんが文学界9月号で「言葉や表現の豊かさに、あえて触れさせない意地悪を、なぜするのだろう」と書いています。また、俵さんによれば、「短歌は31文字だが、百字分でも千字分でも伝えられる」と言います。一方で、百字で百字分を伝えるのが契約書です。それを国語で教えるのは「言葉を、現実を留めるピンとしか見ていない」のではないでしょうか。
また、作家の小川洋子さんはすばる7月号で「教科書で出会わなかったら一生出会えない。そんな文学がある」と語っています。そして、文学は「自分の狭い世界、狭い価値観から解放されて、広い世界へ行くためのドアになる」のだとも。
◆文部科学省は「教養のない日本人」を育てようとしているのでしょうか? これこそ「日本語の危機」どころか「日本人の危機」といえるのではないでしょうか。

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