「江戸寺子屋の段階的養育法~三つ心」

先日、ある本を読んでいたら、「心はどこにあると思うか」について書かれている箇所がありました。その本によると、次のように書かれていました。
『昔の人は、きもにあると思っていました。それで「きもだまが太い」とか「小さい」とかという。中国では、丹心とか丹田とか言われる下腹にあると思っていたらしい。またインド辺では、のどにあると言っていたらしい。さらに西洋では、心臓にあると思ったので、心をハートと言い、「心臓が強い」などと言う。また、にあると考えられていて、「あの男はは頭が悪い」などと言う』
面白いですね。皆さんは、心はどこにあると思いますか?
この箇所を読んだ時、私は江戸寺子屋の段階的養育法の「三つ心」を思い出しました。
そこで、今回は「三つ心」についてご紹介したいと思います。

【江戸寺子屋の段階的養育法】
まず始めに、「江戸寺子屋の段階的養育法」についてお話ししておきたいと思います。
◆「江戸寺子屋」は、日本橋や京橋・新橋界隈に店を持つ商人たちが自分の子どもの養育のために資金を出し合って設けた寺子屋で、自分たちの後継ぎを育てることが目的でした。
江戸では、子どもは次の世代を担う者として大事にされ、大人たちが町ぐるみで育てようとしていました。家庭でも町でも躾の基本は「思いやり」。しかし、ただ一方的に教えるばかりでは子どもは自発的に考えませんし育ちません。ですから当時は、教育という言葉よりも養育という言い方を好みました。そして、今申し上げたように思いやりを子どもの躾や養育を実践しました。
◆それでは、自分たちの後継ぎである「男あるじ・女あるじ」を育てるための「江戸寺子屋の段階的養育法」とはどのようなものだったのでしょうか。
「三つ心、六つしつけ、九つ言葉、十二文、理十五で末決まる」 これは江戸の商家の子どもの段階的養育法を教えた言葉です。江戸の商人たちは、子どもの養育に当たっては何よりも大切なのは、成長段階に応じた段階での養育だと考えていました。この三つ、六つ、九つ、十二、十五というのは数え年のことで、三歳、六歳、九歳、十二歳、十五歳のことです。

【三つ心】(心の糸をしっかり張って、心を育む時期)
◆第一の段階は「三つ心」です。江戸の商人たちは、人間は頭と体と心の三つから成り立っていると考えていました。そして、心は操り人形の糸のようなものだと考えられていました。 心がなければ人間ではないとされていたので、親は生まれた子に心の糸を一日一本、三歳までにおよそ1000本の心の糸を張るように心がけたのです。 その心の糸を乱暴に動かせば、言葉や表情や振る舞いも荒々しくなりますが、優しく動かせば全体的に穏やかな表情になります。心の糸で頭と体を操る。これが心の役割です。
◆目つき、表情、ものの言い方、身のこなしなど、我が身から出るものは全て、この心がコントロールするのだと考えて、心をとても大事にしたのです。心は目に見えませんが、しぐさとなると誰の目にも明らかです。しぐさには、その人の心のありよう(ありのままの姿)が表れます。そのため、江戸の人たちは心の育ちを第一に考えて、親や大人のしぐさを見取らせ、まねをさせました。
◆三歳児は、スポンジが水を吸うようにさまざまなことを吸収していきます。だからこそ、三歳までに大人が愛情を示し、本物や美しいものに触れさせて心にも繁木を与えないと、感じる心、すなわち感性が育ちません。 この感性こそが「生きる力」になると江戸の人たちは考えていたのです。 そのため、その時は理解できなくても、美しいものや手本となるしぐさを見せて、この感性に訴えかけていきました。 そうして、三歳になるまでに徐々に心を育んだのです。
このように「三つ心」というのは、心の糸をしっかり張って、心を育む時期だと考えていたのです。

 

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