[浮世絵の情報力」

「浮世絵」と聞いて、皆さんはどんなことを想像しますか? 私にとっては、浮世絵というと葛飾北斎の「富岳三十六景」や歌川広重の「名所江戸百景」など風景画の印象が強く、江戸時代の絵画の一種というぐらいの知識しかありませんでした。
しかし先日、江戸連講で藤澤茜先生の「江戸の社会と浮世絵の情報力」という講演を聴いて、認識が変わりました。
そこで今回は、「浮世絵の情報力」についてご紹介したいと思います。

【浮世絵の主な画題と情報力】
①美人画
・・・ 成人女性を描いたもので、いわゆる美人に限らない。茶屋の看板娘や遊女が多く描かれた。 美人画はファッション雑誌の役割を果たしていた。 描かれた女性の髪形や着物の柄などがファッションの情報源になった。
②風景画 … 人々によく知られた名所を描いたもので、絵師は取材せずに、すでにある絵から写したものが多い。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」などの出版やお伊勢詣りなどで観光ブームが起こり、観光ガイドブックの役割を果たした。 歌川広重の「東海道五十三次」は歌川広重が幕府の年間行事の行列に加わって東海道を初めて旅した時のスケッチを基に作画したと言われている。
➂役者絵 ・・・ 浮世絵の約半数を占める役者絵は歌舞伎の情報源で、歌舞伎の人気役者や上演場面を公演ごとに描いた。また、歌舞伎は「絵のように美しく決まる」ことが大事で、美しいお手本は浮世絵だった。
④風刺画 ・・・ 社会や世相への不満を描いたもの。 江戸時代、書籍や浮世絵は検閲を受けていた。そのため、絵の構図を変えて風刺することが多かった。
⑤鯰(なまず) ・・・ 鯰絵はナマズを題材に描かれた多色刷りの浮世絵の総称である。 大鯰が地下で活動することによって地震が発生するという民間信仰に基づいて、安政の大地震(1855年)の後、.江戸を中心に大量に発行された。 地震の被害状況や復興の様子を報じた瓦版にも鯰絵が取り入れられた。 ナマズが地震を起こすという言い伝えは、江戸中期からあった。 ナマズが日本列島を下から支え、その頭部が鹿島神社にあたり、神宮境内に鎮座する「要石」でナマズを押さえていたと考えられていた。しかし安政地震当日は神無月だったため、鹿島明神が出雲大社での神々の会議に出ていたせいで地震押さえられなかったと江戸の人々は考えていたという。
⑥横浜絵 ・・・ 開国後、横浜を舞台にした外国人の風俗を描いたもの。 神奈川の人々はこれまで見たこともない外国人の顔貌や服装、建造物に興味をひかれた。その結果、生まれたのが横浜絵である。 大部分が江戸の版元から版行された。

◆以上、簡単に「浮世絵の情報力」について江戸連講で聴いたことをまとめてみましたが、改めて「浮世絵」の持つ情報量の大きさに驚かされました。 作品としての浮世絵はもちろん、瓦版などに描かれたものも含めて、江戸の社会を知る大きな手がかりになることを認識しました。