「焼き場に立つ少年」

今日は戦後76回目の終戦記念日。 今年は例年以上に戦争に関する番組が多く、また「銃後の女性たち~戦争にのめり込んだ“普通の人々”~」や「ひまわりの子どもたち~長崎・戦争孤児の記憶~」など、これまでとは視点が異なったものが多いような気がします。
そんな作品の中で、私にとって特に印象深かったのが「“焼き場に立つ少年”をさがして」(ETV特集)でした。

そこで今回は、「焼き場に立つ少年」について取り上げたいと思います。

【焼き場に立つ少年】
◆「焼き場に立つ少年」は、76年前、長崎に投下された原子爆弾の焼け跡で撮影された1枚の写真です。
撮影したのは、アメリカ軍のカメラマン、ジョー・オダネル。 裸足で着のみ着のまま、背中に死んだ弟を背負い、火葬の順番を待っています。
2019年に来日されたローマ教皇が、この写真に「戦争がもたらすもの」というメッセージをつけて世界中に配布して注目を集めたので、「焼き場に立つ少年」の写真を見た方は多いのではないでしょうか。
オダネルは、この少年が誰なのか、いつ、どこで出会ったのか詳細な記録を残しませんでした。

◆オダネルは、被爆した少年がどのようにして焼き場にたどり着いたのか、その後、無事に生き延びたのかずっと気にかけたまま亡くなりましたが、焼き場で弟を背負う少年に出会った時のことを次のように書き残しています。
「焼き場に10歳位の少年がやってきた。 小さな体はやせ細り、ボロボロの服を着て裸足だった。 少年の背中には幼い男の子がくくりつけられていた。少年は焼き場のふちまで進むと、そこで立ち止まった。 係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。 炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。
私は彼から目をそらすことができなかった。 少年は気を付けの姿勢でじっと前を見つづけた。 急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。 一度もうし ろを振り向かないまま」

◆「“焼き場に立つ少年”をさがして」の番組は、「焼き場に立つ少年~長崎の焼け跡には、原爆が残した重みに耐えるしかなかった子どもたちがいました。 弟の遺体を背負い、唇をかみしめる姿は、戦争にもっとも翻弄されるのは誰なのか、静かに問いかけています」というナレーションで終わっています。
◆私はこの「焼き場に立つ少年」の写真を何度も見ているうちに、少年と興福寺で見た阿修羅像のお顔とが重なってきました。阿修羅は3つの顔と6本の腕を持つ像です。 3つの顔はそれぞれ微妙に異なる表情をしており、戦いの神である阿修羅が、仏教に帰依して、悟りを開いていく様子を表しているといわれています。 もちろん阿修羅の険しい表情ではなく、悟りを開いていく穏やかな表情であることは言うまでもありません。
そして、少年が無事に生き延びることができたとしたら、どんなに苦労を重ねたとしてもしっかりと生きたに違いないと思います。