「世界の大学入試」

今年度の「大学入学共通テスト」が1月15日(土)・16日(日)に実施されました。
今回は特にコロナ禍に加え、濃厚接触者になったり、トンガ沖海底火山噴火による津波、受験生斬りつけ事件、スマホでのカンニング事件など、いろいろな影響を受けながらの共通テストとなり、受験生たちには本当にお気の毒な大学入試となりました。
ちょうど試験日当日、NHKのEテレで「世界の入試で世界が見える」という番組を観ました。
大学入試を考える上でとても印象深かったのでご紹介します。

【アメリカ:シカゴ大学の入試】
アメリカでは入試に「エッセイ」の出題は一般的ですが、シカゴ大学ではエッセイのテーマがユニークなことで有名です。その一例を紹介します。
◆「エッセイ」のテーマ 『あなたにとって巣曜日とは?』
(シカゴ大学では、「エッセイ」は8月上旬に出題され、3~5か月程度かけて書いて提出)
シカゴ大学が求める人材は、「創造力がある人、仕事において爆発力がある人」だそうです。
このエッセイ「あなたにとって水曜日とは?」は日々の暮らし方を聞いています。 日常生活を描かせ、「いつも新しいことを考えているか」「自分の考えを人にどう伝えるか」などを見るといいます。このエッセイの評価基準(ポイント)は主に次の3点です。
①文章力~読ませる力があるか
②イノベーション力~物事の見方が柔軟で、新たなものを創造できるか
➂没頭力~ひとつのことにのめり込めるか
※簡単そうに思えるテーマからこんなにも大切なことが見抜けることに驚きました。

【フランスの大学入試】
フランスには日本のような大学入試はありません。 その代わりに「バカロレア」(全国一斉国家試験)があります。
「バカロレア」に合格すれば、高校の卒業認定を取得でき、かつ大学に入学できます。 「バカロレア」の試験科目は、歴史・地理・語学・物理・化学・数学などに加え、「哲学」が必須です。
◆「哲学」のテーマ 『芸術に無関心であることは可能か』
(制限時間は4時間、文字数は制限なし)
フランスの教育の特徴として、批判的精神や世界に開かれた目をもつことを学ぶ上で最も象徴的な科目が「哲学」と考えられています。
フランス人は「哲学」を通して考え方を学びます。 自分の頭で考えて結論を出して、行動できる自立した市民をつくるために「哲学」は必須なのです。
これは18世紀に起きたフランス革命の血みどろの政治的な混乱を二度と起こさないために、あらゆる可能性を吟味して、偏った考えに執着しないための方法として役立つのが「哲学」だと考えられているのです。
※これぞ教育の本質であり、王道だと感心してしまいました。

【イギリス:オックスフォード大学の入試】
オックスフォード大学の重要な入試は「インタビュー」です。
オックスフォードを受験するには、①イギリス版大学統一試験、②オックスフォード大学が行う試験での好成績が必要。この中から「インタビュー」に呼ばれるのは約1万人だそうです。
◆「インタビュー」 『ブラジルの山火事があった所となかった所の写真。次に山火事から数日後・数週間後の写真。これらの写真を見て、何が起きているか説明してください』
(インタビューの時間は30分間。質問はどんどん難しくなります)
どの学科でもインタビューは2回行われます。インタビューは面接ではなく、対話といえます。この対話に正解はありありません。受験者がどう思い、どう考えたかを見ていきます。
オックスフォード大学では、このインタビューに約2000人の教授・教員を動員し、2週間以上かけます。インタビューにかける時間は1万時間以上です。
なぜインタビューにそこまで時間をかけるのか。 それは、「インタビュー」がオックスフォード大学の教育の反映でもあるからです。 オックスフォード大学の授業は、教授と学生が毎回対話をしながら学んでいきます。それを小規模にしたのが「インタビュー」なのです。
オックスフォード大学の授業は、少人数の学生(2~3人)と1人の教の個別指導型。 「インタビュー」は、その授業に対応できるか見極めるためなのです。だから、学生が間違ったり、ヒントをもらったりしてもOK。 大切なのは、学生がどう考え、最終的にどういう答えに辿り着くかが大切なのです。
オックスフォード大学では、厳しい学術の世界を心から楽しんでくれる人を求めています。そして、「自ら学術を楽しみ、どんな分野でも大いに活躍できる人物」であるかを入試で見ているのです。
※大学で学ぶということはどういうことかということを改めて考えさせられました。

◆ご感想はいかがでしたか? 日本の大学入試も変わりつつあり、小論文も加わって単なる選別ではなくなってきているようです。しかし、まだまだ知識重視の入試で、グローバル化していく社会では通用しないことは明らかです。
教育はまさに「百年の計」であるべきなのに、学習指導要領が改訂される度に(およそ10年ごと)時計の振り子のように大きく揺れる(ブレる)ようでは話になりませんよね。
もっともこれは受験生の問題ではなく、教育行政に携わる側の問題ですが。
いずれにしても、日本の教育の在り方そのものを見直すべき時ではないでしょうか。