「江戸のSDGsに学ぶ~Ⅰ」(1)

最近よく耳にする言葉の一つに「SDGs」があります。「SDGs」は、Sustainable Development Goals の略語です。
「SDGs」とは、2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された2030年までに持続可能でより良い世界を目指す国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され、地球上の「誰一人取り残さない」ことを誓っています。
先日、ある所から「江戸のSDGsに学ぶ」というテーマで講演の依頼を受けましたので、今回からシリーズで「江戸のSDGs」について取り上げたいと思います。
今回のテーマⅠは「「エコロジー社会だった江戸の町」です。

1.「エコロジー社会だった江戸の町」

(1)世界一きれいだった江戸の町
まず始めに、「世界一きれいだった」と言われる江戸は、どのような町だったのかお話しします。

【百万都市・江戸】
◆江戸は将軍のお膝元でしたから、旗本や御家人(将軍直属)のお屋敷が集中していました。また、大名たちの藩邸も置かれ、江戸で暮らす武士たちがたくさんいました。それらの武士たちの生活が成り立つよう、商人や職人たちが全国から集まりました。 年々人口は増加し、享保6年(1721年)には百万都市になったと言われています。当時、町人は50万人を超えており、これに武士(と寺社の関係者)を加えると、すでに百万人を超えていたと推定されます。
1801年のロンドンの人口は約87万人、パリの人口は約55万人でしたから、江戸はパリやロンドンを凌ぐ世界一の大都市でした。
◆17・18世紀のパリは馬車がひっきりなしに通るので道はデコボコである上に、馬糞がたくさん落ちていました。また、通りを歩いていると、2階・3階の家の窓から突然ゴミが投げ捨てられて大変だったようです。ちなみに、パリが“花の都”と呼ばれるようになったのは1830年代に下水道を掘り始めてから後のことのようです。
◆当時のパリやロンドンに比べると、江戸はとても清潔な町であったと言えます。
それは、江戸時代に下水道の設備はありませんでしたが、道路の脇の排水溝の水が最終的には神田川や墨田川に流れ込んでいましたし、当時の下水は家庭の排水がほとんどでしたからそんなにひどく汚染されたものではなかったからです。また、糞尿の類は下水とは一切関係がなく、それはそれで別のルートで処理されていたからです。
さらに道路ですが、馬車が通るヨーロッパの町と違って、日本の町の道路はそれほど広くはありませんでしたし、夏に照り返しがあっても打ち水をすれば結構涼しくなるという利点もありました。
また、後ほどお話ししますが、ゴミを資源として回収する仕事があり、そのゴミを再生する職人がいて、それを使うことが当たり前でした。紙よりも貴重だった釘や鍋などの貴金属は、小さい物でも回収され、鍛冶屋が溶かして新しい物を作りました。
ですから、江戸は結構清潔で衛生的な町であり、世界一きれいな町だったといっても過言ではないようです。

◆このように、江戸のインフラはかなり整っていましたが、中でも神田上水と玉川上巣の二大上水が建設されたことは意義深いことでした、
このことから、江戸はSDGsの⑥「安全な水とトイレを世界中に」をクリアしていたと言えます。