「江戸のSDGsに学ぶ~Ⅱ」(3)

前回お話ししましたように、ごみが商品として扱われた結果、回収業が盛んになりました。
そこで今回は、主な回収業者をご紹介します。

2.「リサイクル社会だった江戸の町」

(3)江戸の主な回収業者
◆それでは、主な回収業者をいくつかご紹介しましょう。

《紙屑買い》
◆「紙屑買い」は使い古した紙の他、ボロや欠け茶碗など利用価値がまだあれば何でも買い取りました。 紙は貴重品だったので、回収された古紙は専門業者によって漉き返されて、浅草紙と呼ばれる鼻紙や落とし紙用(便所用)の紙に再生されました。 寺子屋では裏表が真っ黒になるまで使いましたし、その後は回収して再生しました。
昔の普通の紙は、コウゾ(楮)の木を原料として漉きました。現在の製紙のように大きく成長した樹木を伐採するのではなく、毎年生えてくる枝を原料にするため、昔の製紙は農業の延長上にあり、その点でもエコでした。
今では「和紙」と呼んでいる伝統的製法による紙は、洋紙より紙の繊維が長く丈夫なため、古い帳簿のような不要になった古紙にもさまざまな用途がありました。古紙流通の第一線を担当するのが「紙屑買い」でした。彼らは家々を回って腰を買い集め、まとめて「古紙問屋」に売って生活していました。
現在でも古紙を漉き返した「再生紙」が使われていますが、繊維の長い和紙は何度でも漉き返しができるため、安いちり紙から厚紙までさまざまな形に漉き直して利用しました。また、和紙の古い書類、手紙などはそのまま屏風や襖などの下張りに使うこともありました。
昔の紙は、原料の段階から紙漉き、古紙の回収、漉き返しなどすべての段階を通してゼロエネルギーの手作業で行われたことは言うまでもありません。

《灰 買 い》
◆「灰買い」は、家々や銭湯を回って灰を買い取りました。 灰は酒造や染色、製紙や肥料、さらには陶器のうわぐすりなどにも利用されました。
灰はとても価値のある商品でしたので、家庭用ばかりでなく、業務用としても大活躍しました。
江戸の庶民たちは、家のかまどや火鉢の残った灰を「灰買い」に売って、生活費の足しにしました。 「灰買い」は、買い集めた灰を「灰問屋」に売り、「灰問屋」は灰を必要とする業者に売ったり、灰を売買する市に出したりしました。

《肥 取 り》
◆回収業者の中でも、かなり大きな稼ぎとなったのが「肥取り」でした。
汲み取り式の便所から回収して発酵させた排泄物は「下肥(しもごえ)」という質の良い肥料になりました。 買ったのは近郊の農民たちで、わざわざ町に汲み取りに来ていました。江戸中期になると、裕福な農民の中にはたくさんの契約先を持ち、運搬船を使って大々的にビジネスを行う者もいました。
「肥取り」は一大マーケットになり、最盛期には年間10万両、現在の価格で40億円ほどの市場規模があったと推定されています。

古 着 屋》
◆江戸の回収業者の中で、一番暮らしに深くかかわり、不可欠だったのが古着屋でした。
古着屋は江戸市中のあちこちにありましたが、特に神田川が隅田川に流れ込む柳原土手には古着の屋台が並んでファッションストリートになっていて、近郷からもたくさんの人が古着を買い求めに来ていました。
古着の中には新品同様の物から何年も着古したものまでありました。 古着を一着買えば、何度も洗い張りをし、仕立て直しをし、自分が着られなくなれば子ども用に作り替えて着せました。
古着はリサイクルの優等生で、売り買いの権利を持つ人だけで3000人余りもいて、さらにその下で働く人を含めれば、ずいぶん大きな業界でした。

《蝋 買 い》
◆「蝋買い」は、ロウソクを使った後に流れ落ちたロウを買いました。その買い集めたロウを溶かして、またロウソクを作りました。
「蝋買い」は、「ロウソクの流れ買い」とも言われ、提灯や仏壇の灯明の燃え残りのかけらを秤で量って買い集めました。 このロウは溶かして固められ、引き戸の滑りをよくするためや木製品の磨きや艶出し、また裁縫の時に糸に塗って運針しやすくするのにも役立ちました。

《おちゃない》
◆「おちゃない」は、「落ちはないかえ~」(おちゃない)と言いながら町中を歩いたので、この名前がつきました。
抜け落ちた毛髪を買い集めましたが、生えている髪の毛も買い取りました。 買い集められた毛髪は鬢屋(かもじや)に持ち込まれ、添え髪やカツラとなって再び頭を飾りました。 抜け毛さえも無駄にしなかったのには驚かされます。

《そ の 他》
他にも、使用済みの醤油樽や酒の樽などを買い集める「樽買い」や破れたり壊れたりした傘を買い取る「古傘買い」などいろいろな回収業者がいました。
次回は「修繕業者」についてご紹介します。