「江戸のSDGsに学ぶ~Ⅱ」(4)

今回は江戸時代の主な修繕業者をいくつかご紹介します。
修繕業者は基本的には自分で買い取ることはせず、街中でその場で修理したり、回収業者から持ち込まれた物を修理したりしました。 しかし、古傘や古椀などのように買い取って持ち帰って修理するものもありました。

2.リサイクル社会だった江戸の町

(4)江戸の主な修繕業者
◆それでは、主な修繕業者をいくつかご紹介しましょう。

《鋳掛け屋》
◆鋳掛け屋は、鍋屋窯などの金属の痛んだところや壊れた部分を溶かしたはんだ(鉛・スズなど)で修理しました。
江戸時代は、ほとんどの家財道具は一生ものでした。鍋に穴があけば鋳掛け屋に頼んで穴をふさぎ、さらに使えなくなれば古金屋下げ渡して資源にしました。
ふいご(火力を強めるために用いる箱型の送風装置)を担いで町中を流すのですから大変でした。

《古傘買い・古椀買い》
◆古傘買い・古椀買いは、古傘や古椀を買い取って帰り、傘は骨を直して新しい紙を貼って修理し、古椀は漆で補修しました。 完全には治らない場合でも、露店の小道具屋でさらに格安で売られ、再び使われました。
傘屋は、傘の製造販売だけでなく、紙が破れたら破れたら張り直し、骨が折れたら修理する所でもあったのです。

《焼き継ぎ屋》
◆焼き継ぎ屋は、現代にも受け継がれる技法で割れた陶器を修理する業者です。
割れてしまった陶器は、白玉粉を使って焼いて継ぎました。現在でも、「金継ぎ」といって割れた陶器を漆で継ぎ、その上に金などで装飾する技法が受け継がれていて人気です。

《雪駄直し・下駄の歯入れ》
◆雪駄直しは雪駄(竹皮草履)を直し、下駄の歯入れは下駄の歯を取り換える修繕業者です。
下駄の歯がすり減ったら歯だけを入れ替え、鼻緒が痛んだら鼻緒をすげ替え、ついに下駄全体が割れたら薪にして風呂焚きの燃料にしました。
さらには、この燃えかすの灰を「灰買い」が買い集めに来ました。

◆その他の修繕業者として、穴が開いたりカギ裂きしたりした布を見た目には全然分からないようにきれいに繕う「掛け継ぎ屋」などがいました。
◆江戸の町にごみが少なかったのは、どんな物でもすぐに捨てなかったからです。壊れたらできる限り修理して使いました。 現代のように、物がたくさん出回っていなかったので、大切に、なるべく長く使うのが当たり前。割れた茶碗、穴の開いた鍋、骨が折れた傘・・・などなど、今ならどこかのマンションのごみ置き場にありそうですが、江戸ではすべて修理しました。捨てるなんてもったいないことは誰もしませんでした。
江戸では物売りと同じように、修理屋も町中を巡り歩いていたので、壊れた物もすぐに直してもらえました。みんなが修理を頼んだので、修繕業者は大忙しでした。
「修繕業者」は物の数だけあったといいますから、それだけ分業・細分化が進み、多くの人に働く場を提供できたということになります。その中でそれぞれの素晴らしい技術をもったスぺshリスト(職人)を育てたのです。

◆これは、SDGs①「貧困をなくそう」の対策になりますよね。