「草主人従」
3月11日、東日本大震災から7年が過ぎました。少しずつ復興しているとはいえ、まだまだその傷跡は深く残っています。
それにしても、この7年間に大きな自然災害がなかったかといえば、そんなことはなかったということはどなたもご存知ですよね。
阿蘇山の噴火に熊本地震、台風による大水害・・・。直近では、草津白根山の噴火など自然災害のなかった年はなく、しかも全国各地で起きています。 そして、災害が起こる度によく耳にするのが「想定外だった」という言葉。私たちの先祖も災害が起こる度に「想定外だった」と考えていたのでしょうか。
江戸の商人しぐさに「草主人従」という言葉があります。
「草主人従」は、草は自然の代表として主であり、人間はその自然に従う立場にあるという考えです。つまり、人間は自然の一員として生かされているという謙虚な考え方を表した言葉です。
江戸の人々は自然の営みに感謝し、自然を敬って、自然とともに生きていました。日本には春夏秋冬という四季がありますし、作物は天候に左右され、豊作・不作は自然の影響を大きく受けます。このように、生命をも司る自然に対して、私たちの先祖は敵対することなく共存して生きてきました。
特に、江戸の人々はこの「草主人従」という考え方で今の私たちよりも自然に対して優しい生活をしていました。 例えば、「お月見づきあい」という言葉がありましたし、皆さんもよくご存知の加賀の千代女の「朝顔につるべとられてもらい水」という句にも自然に対する優しさがよく表れていますよね。
また、今ではすっかり死語になってしまった感のある「お天道さま」といういう言葉ですが、江戸の人々が太陽のことを感謝の気持ちを込めて「お天道さま」と呼んでいたことでも自然を敬っていたことがよく分かります。 いうまでもなく、太陽は私たちの暮らしを左右する貴重な存在です。春夏秋冬、季節の変化も、山の幸海の幸も、そして田畑の実りも太陽があってこそですよね。 このことが江戸の人々の太陽信仰につながり、感謝を込めて「お天道さま」と呼ぶ習慣が定着していったのです。 そして、「ウソをついてはいけない。お天道さまはお見通しだよ」とか「お天道さまに見られて恥ずかしいことをしてはいけないよ」というように、日頃の生活の中で何かにつけてお天道さまが引き合いに出されたのです。
今の私たちはどうでしょうか。自然への感謝の気持ちや自然を敬う心を忘れているのではないでしょうか。少しは江戸の人々を見習いたいものですね。