「江戸商人“べからず講”」②
前回は江戸商人の“べからず講”についてお話しいたしました。
江戸商人にとって「べからず」には、「人がいいから倒産したというべからず」とか「忙しいというべからず」などいろいろな「べからず」がありますが、本日は、次の2つの「べからず」の本質について考えてみたいと思います。
【こんなはずではなかったというべからず】
◆「こんなはずではなかった」というのは、江戸時代であれば番頭(今なら経営者や責任者)の予測が甘かった結果が招いたこと。商人にとっては一目(いちもく)先を見る「見越しのしぐさ」が不可欠のこととされていました。 「見越しのしぐさ」とは、一人前の大人なら常にアンテナを立てて、一目先を考えながら仕事を進めるのが当たり前。江戸商人は、少なくとも次の盆、つまり一年先までの見通しを立てなければ商売をする資格がないと言われました。
◆また、江戸は「まさかの町」と言われ、いつどんなことがあるかわからないという自覚のもと、マイナス要因をたちどころに10個挙げて、その対策を常に考えていたそうです。
最近よく使われる「想定外」という言葉は、江戸の商人にとっては「あるまじきこと」でしょうね。 職場でも、上司は仕事ができる人間かどうか常にチェックされていますし、逆に上司から見れば、部下は何が得意で何が不得手か、そして部下の素質を見極めて伸ばすのも「見越しのしぐさ」といえるのではないでしょうか。
【見てわかることはいうべからず】
◆私たちは普段、何気なく面と向かっていながら「お元気そうですね」「お痩せになったようですね」あるいは「汗をおかきになって、暑そうですね」ということがよくありますよね。
しかし、江戸の町では、見てわかることをわざわざ口に出すのは野暮だとされていました。 不用意な発言によって、そんなつもりはないにもかかわらず、相手を傷つけてしまう可能性があるからです。 例えば、「お痩せになったようですね」という問いかけは、その人が深刻な病気や心労によって痩せた場合、触れてほしくない話題に踏み込んでしまったことになってしまいます。
「見たまま、思ったまま」を言うことは、悪気はなくても本人や周りの人を不快にさせるだけです。見ればどんな状態か一目瞭然のはずなのに、そのことをストレートに言うのは「稚児しぐさ」(子どものすること)で、いっぱしの商人としては恥ずかしいこととされていました。
◆しかし「商人しぐさ」では、見てわかることは言わなければそれでよいというものではありません。相手の様子を見てどのような状態か察したら、黙って行動で対応するのが本来の「商人しぐさ」なのです。 例えば、汗をかいている人に向かって、「ひどい汗ですね」と見てわかることを言うのではなく、すぐに冷たいおしぼりや飲み物を出してあげるなど、相手への心遣いを行動で示すことが「見てわかることはいうべからず」の本意なのです。
◆真剣に向き合えば、相手がどんな心理状態にあるかも見抜けるはず。 「商人しぐさ」は、人間観察力を身につけた上で、どのように適切に対応できるかが重要なポイントだったのです。 そして、一瞬のうちに人間を把握する感性をもちながら、口に出さずに黙って対応するのが奥ゆかしい大人のしぐさそのものだったのです。 できるだけ相手の気持ちを察した言動を心がけたいものですね。