「こんなはずではなかったというべからず」

新型コロナウイルスの感染が拡大し続けています。日本では中国や韓国のように自分が感染しているかどうかのウイルス検査(PCR検査)は一定の条件下にない限り実施されていないため、感染者数を一概に比較することはできません。
だからでしょうか、世界のリーダーたちの危機意識や危機対応のあり方に比して日本のリーダーには危機感があまり感じられず、対応が後手後手になっていると感じているのは私だけではないと思います。(北海道の鈴木知事や一部の人たちを除き)
それにしましても、3.11(東日本大震災)以来、この国では人の上に立つ人たちが何かにつけて“想定外”という言葉をとても安易に使うようになっていることが気になっています。
そこで、今回は江戸商人のリーダーたちが「江戸講」でどのようにリーダーとしての心得を学んでいったのか、また、その具体的な例として江戸商人の「べからず講」の中から一例を紹介したいと思います。

【江戸講とは】
◆「江戸講」というのは、いわゆる勉強会のようなもので、江戸の町衆(特に商人)たちの自己研鑽の場でもありました。その時々の一番大事な課題や出来事について話し合い、お互いに知恵を出し合って解決法を考えていただけでなく、講座を開いていろいろな講師を招いて勉強する場でもありました。
そして、江戸の商人たちはこの「江戸講」で自分たちの経験に基づく人生観や世界観を語り合い、江戸の商人たちにとっての「べからず講」を作り上げていったのです。
「べからず講」は、人として(また商人として)いかに良く生きるべきか、といったような江戸商人のリーダーたちの心得を学ぶセミナーのようなものであったそうです。

【こん「こんなはずではなかったというべからず】
◆「こんなはずではなかった」というのは、番頭(今なら経営者や責任者)の予測が甘かった結果が招いたこと。商人にとって一目先を見る「見越しのしぐさ」は不可欠のこととされていました。「見越しのしぐさ」とは、一人前の大人なら、常にアンテナを立てて一目先を考えながら仕事を進めるのが当たり前。江戸商人は、少なくとも次の盆、つまり一年先までの見通しを立てられなければ、商売をする資格がないと言われました。
◆また、江戸は「まさかの町」と言われ、いつどんなことがあるかわからないという自覚のもと、マイナス要因をたちどころに10個挙げて、その対策を常に考えていたそうです

最近よく使われる“想定外”という言葉は、江戸商人にとっては“あるまじきこと”でしょうね。

この江戸商人の「こんなはずではなかったというべからず」を政治家に当てはめてみるとどうでしょうか。少なくとも一年先の見通しを立てられなければ、政治家としての資格はないと言われたら、なんと答えるのでしょうか。
また、今回の新型コロナウイルスの感染拡大のような“まさか”という問題が起こった時、即座にマイナス要因を10個挙げて、その対策をすぐに考えることができるでしょうか。
常日頃から問題点と対策(解決策)を考える習慣ができていなければ、どんな問題が起きても適切な対応ができるはずはありません。
「逆境の時にこそその人の真価が問われる」と言われますが、それは政治家や人の上に立つ人だけでなく、私たち国民一人ひとりにとっても試されているのだと思います。
いずれにしても、一も早く新型コロナウイルスの感染拡大が収束することを願うばかりです。

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