「江戸の商人:見越しのしぐさ」
先日、東京新聞の投稿欄に政治家に対して「仮定の質問に答えて」という女性の声が紹介されていました。
一部引用させていただくと、『政治家の仕事とはいったい何なのか。過去を顧み、現在の状況を分析し、より良い未来を築くには、どうしたらいいか。ありとあらゆる可能性を視野に入れ、対策に考えを巡らすのが政治家の仕事ではないのか』と。
全くその通り!と共感しました。 それと同時に、江戸の商人の「見越しのしぐさ」のことを思い出しました。
そこで今回は、江戸の商人の「見越しのしぐさ」について紹介します。
【見越しのしぐさ】
◆江戸の商人の『べからず講』(するなかれ)の1つに、「こんなはずではなかったというべからず」というのがあります。 「こんなはずではなかった」と言わないために、どうすればよいのか。 その対策として、「見越しのしぐさ」は江戸の商人にとって不可欠のものとされていました。
◆「見越しのしぐさ」とは、一人前の商人なら常にアンテナを立てて、一目先を考えながら仕事を進めるのが当たり前。 江戸の商人は、少なくとも次の盆、つまり一年先までの見通しを立てられなければ、商売をする資格がないと言われました。
また、江戸は「まさかの町」とも言われ、いつどんなことがあるか分からないという自覚のもと、マイナス要因をたちどころに少なくとも10個挙げて、その対策を常に考えていたそうです。 つまり、常日頃から仮定の場面を想定し、いろいろな解決策を考える訓練をしていたのです。 最近よく使われる「想定外」という言葉は、江戸の商人にとっては「あるまじきこと」だったのでしょうね。
◆投稿した女性は、最後に次のような言葉で閉めていました。
『「仮定のこと」に配慮しなかった結果が福島の原発事故ではないか。 大地震が起きたらどうするか、大津波がきたらどうするか。 考えなかった結果は歴然としている。 私たちは政治家の「仮定の質問に答えられない」という答弁を許してはならない』と。
「見越しのしぐさ」ができない商人は一人前と言えないのと同様、「仮定の質問に答えられない」と繰り返すことしかできない政治家は一人前とは言えないのではないでしょうか。